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第4回 Massa中川聖久

1985年に渡米、ニューヨークとデンバーでフラワーデザインを学ぶ。帰国後ゴトウ花店に就職、1993年には帝国ホテル店店長に就任。独立後は一流ブランドの展示会やレセプションなどのデコレーションを数多く手がける。イベントや雑誌とのコラボレーションのほか、バリ・アマンリゾートのウエディングフラワーの企画プロデュースなど幅広く活躍中。
Official Page : http://www.massa-artists.com/

花は枯れていく姿も美しいですよ。

トップブランドのパーティー会場で豪奢な演出をしたかと思えば、浅草の街中で空間を彩るデモンストレーションを行い、コンサートホールや演劇の舞台装飾も手がける。多彩なフィールドを花で飾る、フラワーアーティスト・Massaこと中川聖久さんは、和と洋のテイストを自在にあやつり、驚きと「美」の感動をもたらしてくれる。しかし、花を扱う仕事を始めたきっかけは、意外にも70年代アメリカのポップカルチャーと音楽がベースになっている。

「子供の頃からアメリカ文化に強い憧れを持っていました。アポロ11号の月面着陸をライブで見てましたし、何しろ僕の10代から20代はアメリカがキーワードになっていましたね。大学を卒業して1年ほどサラリーマンをやっていましたが、その間もどうすればアメリカに行けるかをずっと考えていたんです。真面目にサラリーマン生活を送りながらも、どうしてもアメリカ上陸(?)の夢を捨てきれずにいましたが、それはデンバーの親戚を訪問するという形で実現したわけです。フローリストを営んでいた彼らのもとで「花」を扱う商売を目近でみているうちに僕の中で何かがクリックしたわけです。学生時代からイラストや絵を気ままに描いていましたが、そのとき自分の中のアートなるものと花が結びついたんだと思います。さあこうなってしまうとデンバーでうろうろしている場合じゃないわけです。日本に帰って、まずは日本の花を勉強しようと思いました。日本の花の文化を知る事が第一のステップだろうと感じたわけです。」

帰国後、老舗のゴトウ花店(現・ゴトウフローリスト)に職を得て六本木本店と帝国ホテル店に勤務することになる。技術の習得のみならず、花を使って「商品」や「アイデイア」を売る「花屋」のビジネスを徹底的に学んだ。そして、それっきりアメリカで暮らす夢はどこかへ飛んで行ってしまったと言う。すっかり花に魅せられてしまったのだ。
「日本に戻ってきてわかったことは、こっちにもすごい世界が存在していたということ。とても短い期間で学びきれるものじゃない。せっかく老舗に勤めてるんだから「この店で最高のデザイナーになりたい」と目標が変わってきたんです。帝国ホテル店を任されるようになって、様々な場を経験していく中で自分はいったいどこまでいけるんだろうと、考えるようになりましたね。ホテルという活動の場しか知らなくていいのか、実は「井の中の蛙」でしかなかったらどうしようと。そこで、すこしずつその井戸から出てみる事にしました。一流と呼ばれるブランドや企業が自分を認めてくれるのか知りたくて、営業のようなことを始めたんです。確固たるブランドイメージを持っている一流ブランドとの交渉の場では、まったく妥協など存在せずバーも高い。大変なこともありましたが、勉強になった事は確かです。高い目標や要求基準をクリアしたとき、それはクライエントとの信頼関係を堅固にしてくれましたし、自分の自信をも強めてくれましたから。これらの経験が僕の今のスタイルのベース作りにつながっていると思います。」

パーティーなどで飾られる花はその場限りの命だが、その儚さも生きている花だからこその「美しさ」だと思っている。
「たとえば、庭だと数年先を見越して造りますが、切り花は「今」を見せるもの。リアルタイムの美のその先には何も存在しないんですね。捨てられる花に焦点を当てることもあります。僕は舞台から降りた花をそのままにしておくことがあります。開ききって、そして枯れていく花の中に何とも言えない「侘び寂び」を感じる事で華やかな世界と現実のバランスを認める事もあるのです。」

さてアメリカ文化を心地良い形でとらえらながら、今度はヨーロッパに興味と感心を持つようになる。
「”修行”のつもりでヨーロッパ方面にちょくちょく行くようになりましたね。花はもとより絵画やオペラなど「美」に関しては材料は豊富すぎるほどです。まずはどこから手をつけたらいいのか大変でした。吸収するものがとにかくたくさんあるんです。ヨーロピアンフラワーの試験も受けてみました。肩書きになるだろうぐらいの気持ちでしたけど。逆さにしても抜けない花の挿し方といった基本のヨーロピアンテクニックなど、コラージュやアレンジメントを時間内に仕上げていくものでした。僕にとってはさほど難しい技術ではなかったのですが、この試験を受けて思ったことは、さすがヨーロッパは職人を大事にする文化があるな、ということ。他の技術職と同様にフローリストに対してもその技術水準を高くすることで社会的な地位の維持と保証をはかっている。これは日本では考えれません。技術がすべてではないけれど美を演出する人たちも一定の基準をクリアしたところで仕事をしている、これがプロフェッショナルということなんだろうな、と。」

日本で花といえば「華道」。枯山水や宇宙観につながるような観念的な世界に触れたことで、中川さんは作品に和のセンスを取り入れるようになる。
「ふと、日本の花を知らない事に気がつき華道を習いました。それまでは花を多く活けていると安心したものですが、華道を学ぶうちに、挿す花の数がどんどん減っていくわけです。つまり空間に花をおいていく。一方、洋の花は基本的に空間を埋めていく考え方。生け花では1本の枝や花を見せる。この違いは新鮮であると同時にさらに自分のスタイルに一石を投じることになりました。」

そして、2006年に自分の世界観を表現するチャンスが訪れた。場所は京都の大徳寺・聚光院(じゅこういん)。千利休の墓があり、茶の湯の世界とも縁の深い場所で、茶花を生けるという雑誌の企画が持ち込まれたのだ。
「ここはお茶の世界の人たちにとっては神聖な場所です。仏教とは切り離せない蓮を使ったりしましたが、思いっきり大胆なデザインを試みました。でも奇をてらうつもりはありませんでした。いにしえの文化人は実はとても大胆なことを考えていたに違いありません。そこで僕は固定観念を極力捨て去り、利休さんや狩野親子に見てもらうつもりで活けたわけです。賛否両論は覚悟の上ですね。撮影後そこの住職に「ふすまの向こうで利休さんも笑っておいでです。」と言われ何となくホットしたことを覚えています。」

アメリカ時代は、カリフォルニアでは借り物のトライアンフTR6を、デンバーにいたときはダッヂを乗り回していたというが。
「アメリカでは高速道路のローカルルールみたいなのがよくわからなくて、一度出口を間違えて5時間くらいさまよったことがあります(笑)。それでもドライブが楽しかったからいいんですけどね。」

車は常にアメ車。「個性とパワーがあるから好き」と言う。しかし、ヨーロッパ車ブランドのレセプションを手がけた際に、欧州車に少しだけ乗った事もあるという。
「一度アルファロメオの仕事をしたときに、いつまでもアメ車じゃダメだよって言われて(笑)。スパイダーに乗りました。楽しいクルマでしたよ。走るとき、風景がヨーロッパになる。アメリカ文化は自分のバックボーンなのでこれはこの先もかわらないと思います。ビューイックのリーガルの後はカマロの最後のモデル、35thアニバーサリーZ28を乗っています。故障も少なくなくいつもサプライズがつきまとう車ですが、この車を駆って海岸線を走るとき、僕は70年代のアメリカに戻るんです。そして仕事の発想も音楽のように溢れ出てきます。」


(取材:2007年)

 

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