
1949年生まれ。18歳で旧西ドイツに留学。フランクフルト放送交響楽団や、ケルン放送交響楽団で主席オーボエ奏者に就任。ソリストとしても活躍し、ジャンルを超えたアーティストたちと共演。大ヒット・コンピレーション「Image」への参加やCFのイメージキャラクターを務めるなど、様々なアプローチを展開してきた。2007年3月にオーボエ奏者としての活動に幕を引き、現在は指揮や後進の指導、コンサートのプロデュースなど多方面で活躍中。
Official Page : http://miyamotofumiaki.com/
クラシックの音楽家というより、ロックバンドでもやっていそうなスタイルで現れた宮本文昭さん。コンサートでは燕尾服をまとうため、「イメージを裏切るため」には普段はこんな格好をしていると笑う。1989年にJTの"ピース・インターナショナル"のCFに登場し、お茶の間にまで知られるようになったオーボエ奏者。と言えば思い当たるひとは多いのではないだろうか。今年3月にオーボエ奏者としてファイナルコンサートを行った宮本さんは、休むことなくさらなる音楽世界を追及し始めた。
「オーボエを置いてよかったと思います。やめるって言ったとたん、いろいろな仕事の声がかかった。年末に第九を指揮するなんて、やめてなかったら出来ない。オーボエ奏者としてもう吹けないと思ってからだとタイミング的には遅すぎると思った。余力があるうちにいろいろなことをしたかったんです。」
これまでは演奏家として指揮を仰ぐ側にいた宮本さんだが、自身が指揮者となり場数も重ねつつある。指揮の先生はなんと、世界のオザワこと小澤征爾氏だ。
「師事といっても1時間毎くらいの個人レッスンです。しかも、お金払ってない。安いと失礼だし、いくら払ったらいいかわからないので、そのことには触れないようにしています(笑)。忙しい方ですし、オーケストラを使っての練習は出来ないので、ほとんど会話ですね。僕は管楽器をやっていたので、管楽器に親切なテンポの与え方とかはある程度わかっていますが、逆にバイオリンなどの弦楽器に対しては弱い。管楽器仕様のクセが出ていないかを見てもらう感じです。」
音楽への情熱あふれる姿を目の当たりにしてから年齢を聞くとちょっとびっくりするが、「もうすぐ還暦」という宮本さんは、今年58歳になる。心機一転、新しいことを初めて驚いたのは、脳みそはまだまだ開発されるのだということ。
「自分で指揮するようになってわかったのは、人間いろんなことが頭に入ってくるものだなと。例えばラベルの『ボレロ』は楽器の数がやたら多い。でも、その大編成の音のカオスのなかで、ニュアンスの指示を出したりもできるようになる。各パートの音の動きが複数の線になって同時に頭に入ってくるようになるんです。僕が特別なんじゃなくて、人間の脳がそういうふうにできてるんですね。これは発見でした。こんな年でもまだまだ開発されるんだなと。脳は使った方がいいですよ。小澤さんにはレパートリーを絞って繰り返さないとダメだよとアドバイスされていますが守っていません(笑)。いつ死ぬかわからないから、タイムリミットを考えてたくさんの曲を味わいつくさないと。」
音楽家としてより広い分野で仕事をしたいという欲求と熱意。それは、指揮者としての活動だけにとどまらない。
「指揮は声がかかるのでやっていますが、コンサートホールのプロデュースなど、もっといろいろなことをやっていきたい。人気のないホールの雰囲気をガラッと変えたり、忘れ去られたものが脚光を浴びるような発掘をしたり。映画でもあるじゃないですか、ダメなチームが強くなっていくような話(笑)、そのための勉強はたくさんのエネルギーを使ってやりたい。死んだときに、『オーボエをやめてからいろんな事を考えて生ききったな』って言われたいですね。」
いまでこそあまり乗る時間がないが、クルマは大好きだという。しかし、30年に及ぶドイツ生活でクルマは欠かせない足かと思いきや、免許を取ったのは30を過ぎてからだった。
「18歳でドイツに渡ったので、日本では免許を取ってなかった。クルマ通勤をしてみたくて、30歳を過ぎたころにドイツで取得しました。最初はアウディのファミリー向けモデル。次に乗り心地のいいクルマを求めてシトロエンのCXプレステージュに乗り替えました。これがフカフカですごく気持ちいい!楽しいクルマでした。後部座席もゆったりしていて体を伸ばせるような広さですから、ホントは運転手がいるといいんですけどね。いないので自分で運転してました(笑)。実は、あんまり気持ちいいので運転しながら寝ちゃったことが…。前輪の片足が乗り上げちゃって、タイヤとホイールがダメになったまま走ってアウトバーンを出ました。」
大事に至らなかった事故だが、そのままクルマが走ったのにはワケがある。シトロエンが独自に開発したエアサス機構<ハイドロニューマチック>が助けになったのだ。
「その時はそんなシステム知らないで乗ってたんですけどね。全輪が片方ダメになっても全然走るんですよ。FFなのに。タイヤ交換も簡単だったなあ。信号待ちでもヒューって上がったり下がったりするので隣のクルマのドライバーがぎょっとする化をを見るのも楽しみのひとつでした。そのあとは、じゃあ乗り心地の固いクルマをと、ドイツ車に戻って、BMWの3シリーズ・家族が日本で暮らすようになって、シートの数もいらなくなってからはポルシェに乗りました。助手席にオーボエを乗せて南フランスまでリード(木管楽器の口元に付ける木製の板)の買い付けに行ったりしましたが、結局、背骨を痛めてしまって。周囲にはシトロエンに乗ったあとで、何で固いクルマにもどるのかとバカにされましたよ(笑)。」
「ドイツは全部田舎みたいなもので渋滞もたいしたことなかった」が、日本では時間が読めないのでクルマに乗る機会がぐっと減ったそう。しかし、ドライブに対する夢はまだまだ尽きない。
「TV番組の『カーグラフィックTV』とか好きなんです。出演したいくらい。何もわかんないからコメントできませんけどね(笑)。『ワインディングロードを走る』とか、『コーナーを攻める』とか、『何言ってんの、普通に曲がればいいじゃない』と思いつつもちょっと憧れがある。箱根あたりのターンパイクを走って、オーベルジュで食事してかえってkる。そんな優雅な生活もしてみたいですけど、音楽への欲求が多すぎて、その他の楽しみに時間が作れないでいます。今、乗っているクルマも走りを楽しむためのモデルですが、あまりその楽しさを味わうチャンスがないですね。そろそろ前に何かくっつけたり、ホイルのインチアップもしてみたいなと思ってるんですけど。オイルなんてディーラーが言い出す前に交換しちゃうタイプですよ(笑)。」
(取材:2007年)