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左:ケナン・ソフォーグルがホンダCBR600を駆りバレンシアで勝利。 | ||||
| 下:1960年、ホンダのサービスエリアに設置されたカストロールのランブレッタ・デモンストレーション・バンが“R”オイルを給油。 | |||||
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| 下:1959年、〈マン島TTレース〉にカストロールのサポートを受けたホンダが初出場。 | |||||
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1963年、レッドマンは250ccクラスと350ccクラスで年間タイトルを獲得しました。タヴェリは出場した50ccクラスと125ccクラスで思うような結果を出せませんでしたが、翌1964年には125ccクラスで年間タイトルを獲得しています。またレッドマンは、この1964年に続き1965年にも350ccクラスを制し、4年連続で年間タイトルを獲得することになりました。これは、ミック・ドゥーハン、バレンティーノ・ロッシと並ぶ歴史的な偉業です。 その後、レッドマンは1966年を自身のラストシーズンと決め、500ccクラスに専念しました。そして、レッドマンの跡を継いだマイク・ヘイルウッドはホンダ250とホンダ350に乗り、1966年と1967年に優勝。また、カストロール“R”を使用したタヴェリは、125ccクラスで1966年の年間タイトルを獲得しました。 1967年、ホンダはモーターサイクルのレースシーンから一時的に撤退しました。カストロールとホンダが組んだ10年間は、131回に及ぶ勝利と15回もの年間タイトル獲得を果たすこととなりました。その間、高い評価と影響力を持つパートナーシップがモータースポーツ界に示されました。 |
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| 上:ヘイルウッド(18番)の手前で、まさにゴールラインを越えようとしているレッドマン(32番)。 | |||||||
| 右:〈南太平洋チャンピオンシップ タスマニアラウンド〉の350ccクラスで優勝し、セレモニーに参加した日本人女性から月桂樹の冠を贈呈されるレッドマン。 | |||||||
| 下:6シリンダーを搭載したホンダ350ccのオートバイに乗るヘイルウッド。 | 1965年の〈ダッチTTレース〉。ホンダ350で優勝したレッドマン。 | ||||||
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「優勝者はカストロールを選ぶ」というキャッチコピーが使われた当時の広告。125cc世界チャンピオンのルイジ・タヴェリ、250ccと350ccの両クラスで世界チャンピオンとなったレッドマン、125cc、
250cc、350ccの3クラスでコンストラクターチャンピオンとなったホンダが掲載されています。 |
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左:ホンダのメカニックが、カストロールのオイル(5リットル缶)を鈴鹿サーキットのグリッドで供給しているところ。 | ![]() |
| 右:1963年、鈴鹿サーキットで開催された初めての〈日本グランプリ〉で。 | ||
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左:1967年、ホッケンハイムのレースで優勝し月桂樹の冠を受け取ったヘイルウッド。 | ![]() |
| 右:1966年4月、ブランズ・ハッチのレースでホンダ350に乗るヘイルウッド。 | ||
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| 上:1984年のエディ・ルジャーン。右:競技中のルジャーン。 | ||||
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| 上:1984年のアンドレ・マラーベ。右:競技中のマラーベ。 | 上:1984年のデイブ・ソープ。右:競技中のソープ。 |
ロードレース界では、フレディ・スペンサーというライダーの登場によって新たな伝説が生まれました。 レッドマンは1年間で年間タイトルを2つ獲得しましたが、スペンサーも1985年に同じ偉業を達成したのです。また、1983年には500ccクラスで6回の勝利を得て、1985年には250ccと500ccの両クラスで勝利を得ました。チームメイトのアントン・マンクも250ccクラスでスペンサーに迫りましたが、500ccクラスでは「カストロール A747」を用いたホンダのオートバイに乗ったスペンサーにかないませんでした。 もしスペンサーがいなかったら、アントン・マンクは1980年代を代表するライダーとなっていたでしょう。アントンは1987年の250ccクラスで全勝をあげていたのですから。 スペンサーは、カストロールが他の国際的なロードレース世界選手権に力を入れ始めた時期に、ホンダによる最後のGP世界チャンピオンとなったのです。 |
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上:1985年、ホンダNSR500に乗るフレディ・スペンサーの公式写真。 | |||
| 左上:1982年、スペンサーはホンダNS500を駆り、ミサノサーキットのイタリアGPで2位に入賞。 | ||||
| 左:1983年、フランスGPで走るスペンサー。 | ||||
| 下:1985年、スペンサーが2つの世界タイトルを獲得したのを記念してカストロールが作ったA2サイズのポスター。 | 下:1985年、ホンダNSR500で世界選手権を制したスペンサー。 | 下:1988年、ホンダ250で走るアントン・マンク。 | ||
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| 上:ホンダRC30に乗るフレッド・マーケル。 | |||||
| 右:カストロール・ホンダRC45に乗る1997年度の〈スーパーバイク世界選手権〉のチャンピオン、ジョン・コシンスキー。 | |||||
| 右:ホンダVTR SP1に乗る2000年度の〈スーパーバイク世界選手権〉のチャンピオン、コリン・エドワーズ。 | ![]() |
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| 右下:2002年のラグナ・セカサーキットで。揃いのユニフォームで集まったチームスタッフ、ニール・タックスワース(左から6番目)、コリン・エドワーズたち。USA ホンダSP2のコリンはポール・ポジションを取って、2回目のレースで勝利した。2002年は9連続勝利を挙げ年間タイトルを獲得するが、このレースがその最初のスタートとなった。 | |||||
| 下:2002年、カストロール・ホンダSP2に乗ったコリン・エドワーズが、自身にとって2回目、チームにとって3回目となる〈スーパーバイク世界選手権〉のタイトルを獲得。 | 下:2002年の〈スーパーバイク世界選手権〉のラグナ・セカラウンドのために作られた、アメリカ合衆国の国旗をモチーフにしたライダースーツ。 | ||||
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1990年代のGP250ccクラスでは、ホンダ擁するルカ・カダローラ、マックス・ビアッジが勝利を収め続けました。カダローラは、カストロールのオイルを使ったホンダNSR250で、1991年と1992年に年間タイトルを獲得。そして、ビアッジは1997年に年間タイトルを取っています。 〈マン島TTレース〉では、1980年代と1990年代にアイルランド人が新たな記録を打ち立てました。その記録はおそらく破られることはないでしょう。記録を作ったのはジョイ・ダンロップ。連勝に次ぐ連勝を繰り返し、TTレースで26回の勝利を挙げたのです。自国で125ccから1000ccまでのオートバイに乗っていたジョイですが、その活躍ぶりからファンは世界中にいました。 21世紀を迎えたホンダは、〈トライアル世界選手権〉にドギー・ランプキンとともに戻りました。ランプキンは、カストロールとホンダにとって特別な存在です。屋外と屋内で行われた〈トライアル世界選手権〉では2000年と2001年に常に上位に入賞し、2002年には3回目の世界タイトルを獲得しています。
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1991年と1992年に世界GP250ccクラスチャンピオンとなったルカ・カダローラ。 |
1997年に世界GP250ccクラスチャンピオンとなったマックス・ビアッジ。 |
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モンテッサ・ホンダに乗り、信じがたいテクニックを披露したドギー・ランプキン。 |
〈マン島TTレース〉で26回もの勝利を挙げたアイルランド人、ジョイ・ダンロップが1993年にホンダNSR125に乗る。 |
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ファビアン・フォレット/2002年 スーパースポーツ世界選手権 |
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ホンダレーシングとカストロールの最近のサクセスストーリーは、オランダのテン・ケイト・ホンダ・チームから起こっています。7回連続の〈スーパースポーツ世界選手権〉を制したテン・ケイトが、〈スーパースポーツレース〉で40回を超える勝利をもたらしたのはファビアン・フォレット、クリス・バーミュレン、カール・マガリッジ、セバスチャン・シャルパンティエ(2回)、ケナン・ソフォーグル(2007年)、アンドリュー・ピット(2008年)です。またケナンは、2007年にバレンシアサーキットで優勝したほか、ホンダレーシングにとって500勝目となる世界選手権の獲得も果たしています。
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| カール・マガリッジ 2004年 スーパースポーツ世界選手権 |
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クリス・バーミュレン/2003年 スーパースポーツ世界選手権 |
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ピットガレージの外でCBR600に乗っているケナン・ソフォーグルが、〈2007年 スーパースポーツ世界選手権〉での勝利をテン・ケイトのチームと祝っているところ。 |
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| セバスチャン・シャルパンティエ 2005年 スーパースポーツ世界選手権 |
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セバスチャン・シャルパンティエ/2006年 スーパースポーツ世界選手権 |
アンドリュー・ピット/2008年 スーパースポーツ世界選手権 |
2007年、ブランズ・ハッチで開催された〈スーパーバイク世界選手権〉でパドックヒルを快走するジェームズ・トスランド。 |
レース後にトロフィーを手にするトスランド。 |
ハンスプリー・テン・ケイト・ホンダチームのパフォーマンスは〈スーパーバイク世界選手権〉に反映されていました。コリン・エドワーズが2002年に世界選手権で優勝したとき以来、ホンダCBR1000ファイヤーブレイドと「カストロール パワー1」を擁したテン・ケイトのチームは、ピットレーンにおけるトップチームのひとつになりました。事実、バーミュレンが早めにチャージするよう話したジェームズ・トスランドは2007年の〈スーパーバイク世界選手権〉で優勝しました。 ![]() イギリスの最終ラウンド、本拠地であるブランズ・ハッチで初めての勝利を得たトスランドがシャンパンシャワーを浴びる。その週末、約12万6000人の観客がハンスプリー・テン・ケイト・ホンダのライダーにとってを応援に訪れた。 |
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サーキットをウィンニングランするトスランド。 |
2004年、セテ・ジベルノーがグレッシーニ・レーシング・ホンダRC211Vに乗りフランスのMotoGpで優勝。 |
ジベルノーは、2004年と2005年にロッシに本気で挑んだ唯一のライダーだった。 |
フレディ・スペンサーがホンダ最後の500cc世界チャンピオンを獲得して以降、MotoGPの公式規格は変化を遂げ、500cc世界選手権に出場するホンダのオートバイも現代のバージョンとなり、カストロールのオイルとともに再びレースに出ています。2003年と2004年にチーム・ホンダ・グレッシーニから出場したセテ・ジベルノは8回の優勝を記録し、マルコ・メランドリとトニ・エリアスは2006年に6勝を挙げています。また、アレックス・デ・アンジェリスとエリアスは、2009年の残りのMotoGPで戦いました。 類のない50年のパートナーシップを組んでいるカストロールとホンダのストーリー。半世紀の時を経て500回を超える勝利を挙げ、モータースポーツのさまざまな状況や変化に応えながら、数多くの伝説的なライダーを輩出してきました。この成功劇は、専門的な知識や献身的姿勢の重要性を確認する裏付けとなると同時に、カストロールとホンダレーシングが世界に誇るべきベストパートナーとして挑み続けるべく決意を固めることになったのです。
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2005年のイスタンブール、マルコ・メランドリがニッキー・ヘイデンを抑えながら優勝目指して走る。 |
2006年のエストリル、トニ・エリアスはホンダRC211Vに乗り、初めてMotoGPでの優勝を勝ち取った。 |
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