カストロールと歩んだホンダレーシングの50年

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Honda Racing with Castrol for 50 years

バレンシア・サーキットで開催された〈2007年 スーパースポーツ世界選手権第4戦〉。ケナン・ソフォーグルはフィニッシュラインをトップで通過し、モータースポーツ界に記念すべき歴史を刻みました。

トルコ人の若手ライダーとして初めて〈スーパースポーツ世界選手権〉を制覇したうえ、カストロールと組んだホンダレーシングに500回目となる世界タイトルをもたらしたからです。この快挙の背景には、世界選手権に参戦してきたホンダレーシングと、サポートを続けてきたカストロールによって積み重ねられた50年に及ぶ歴史があります。

 

1959-1967

1959年、ホンダのオートバイは〈マン島TTレース〉に初出場しました。当時のホンダが欲したのは、緻密な設計が施されたレース用オートバイに向く、信頼性の高い潤滑油でした。そして、カストロールに白羽の矢が立ったのです。すでに名実ともにナンバーワンの地位を確立していたカストロールにとって、ホンダから届いたサポートの打診は驚くべきことではありませんでした。安心と信頼の積み重ねがカストロールの歴史だったからです。

2年後の1961年4月23日、スペインのモンジュイックパーク・サーキット。「カストロール R30」を潤滑油に採用したホンダ製125ccオートバイにトム・フィリスが乗り、見事に初優勝を遂げました。その後、カストロールとホンダが50年を超える年月にわたって手を組み、500回もの世界選手権を制覇することになるとは、トム・フィリス自身も想像していなかったことでしょう。この1961年のシーズン、トム・フィリスはの他の125ccクラスでも3勝を挙げ、年間4勝の記録を残しています。

翌年のカストロールとホンダは、いくつものレースタイトルを獲得しています。125ccクラスではルイジ・タヴェリが、250ccクラスと350ccクラスではジム・レッドマンが勝利を挙げています。トータルで25勝を挙げたこの1962年は、ホンダのモータースポーツ史において最も成功した年として記憶されています。

Kenan Sofuoglu 左:ケナン・ソフォーグルがホンダCBR600を駆りバレンシアで勝利。
下:1960年、ホンダのサービスエリアに設置されたカストロールのランブレッタ・デモンストレーション・バンが“R”オイルを給油。
 
下:1959年、〈マン島TTレース〉にカストロールのサポートを受けたホンダが初出場。
 

 

 

 

 

 

 

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1963年、レッドマンは250ccクラスと350ccクラスで年間タイトルを獲得しました。タヴェリは出場した50ccクラスと125ccクラスで思うような結果を出せませんでしたが、翌1964年には125ccクラスで年間タイトルを獲得しています。またレッドマンは、この1964年に続き1965年にも350ccクラスを制し、4年連続で年間タイトルを獲得することになりました。これは、ミック・ドゥーハン、バレンティーノ・ロッシと並ぶ歴史的な偉業です。

その後、レッドマンは1966年を自身のラストシーズンと決め、500ccクラスに専念しました。そして、レッドマンの跡を継いだマイク・ヘイルウッドはホンダ250とホンダ350に乗り、1966年と1967年に優勝。また、カストロール“R”を使用したタヴェリは、125ccクラスで1966年の年間タイトルを獲得しました。

1967年、ホンダはモーターサイクルのレースシーンから一時的に撤退しました。カストロールとホンダが組んだ10年間は、131回に及ぶ勝利と15回もの年間タイトル獲得を果たすこととなりました。その間、高い評価と影響力を持つパートナーシップがモータースポーツ界に示されました。

上:ヘイルウッド(18番)の手前で、まさにゴールラインを越えようとしているレッドマン(32番)。
右:〈南太平洋チャンピオンシップ タスマニアラウンド〉の350ccクラスで優勝し、セレモニーに参加した日本人女性から月桂樹の冠を贈呈されるレッドマン。
下:6シリンダーを搭載したホンダ350ccのオートバイに乗るヘイルウッド。 1965年の〈ダッチTTレース〉。ホンダ350で優勝したレッドマン。
「優勝者はカストロールを選ぶ」というキャッチコピーが使われた当時の広告。125cc世界チャンピオンのルイジ・タヴェリ、250ccと350ccの両クラスで世界チャンピオンとなったレッドマン、125cc、 250cc、350ccの3クラスでコンストラクターチャンピオンとなったホンダが掲載されています。

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左:ホンダのメカニックが、カストロールのオイル(5リットル缶)を鈴鹿サーキットのグリッドで供給しているところ。
右:1963年、鈴鹿サーキットで開催された初めての〈日本グランプリ〉で。
左:1967年、ホッケンハイムのレースで優勝し月桂樹の冠を受け取ったヘイルウッド。
右:1966年4月、ブランズ・ハッチのレースでホンダ350に乗るヘイルウッド。

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1982-1988

1982年、モータースポーツ界に大きな衝撃が走りました。ホンダがカストロールと再びパートナーシップを組み復活したのです。舞台は、新しい500ccGPシリーズと同じくらい人気のあったオフロードの世界選手権です。

カストロールはホンダとともに〈トライアル世界選手権〉に出場するエディ・ルジャーンをサポート、年間タイトルを獲得するに至りました。ルジャーンは、1982年と1983年に8回の勝利を得て年間タイトルを獲得。さらに1984年にも優勝し、3年連続チャンピオンとなりました。

そして、ルジャーンが〈トライアル世界選手権〉を席巻しているあいだ、アンドレ・マラーベとデイブ・ソープがモトクロス世界選手権で活躍。1984年と1985年に、それぞれ優勝を果たしました。

上:1984年のエディ・ルジャーン。右:競技中のルジャーン。
上:1984年のアンドレ・マラーベ。右:競技中のマラーベ。 上:1984年のデイブ・ソープ。右:競技中のソープ。

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ロードレース界では、フレディ・スペンサーというライダーの登場によって新たな伝説が生まれました。

レッドマンは1年間で年間タイトルを2つ獲得しましたが、スペンサーも1985年に同じ偉業を達成したのです。また、1983年には500ccクラスで6回の勝利を得て、1985年には250ccと500ccの両クラスで勝利を得ました。チームメイトのアントン・マンクも250ccクラスでスペンサーに迫りましたが、500ccクラスでは「カストロール A747」を用いたホンダのオートバイに乗ったスペンサーにかないませんでした。

もしスペンサーがいなかったら、アントン・マンクは1980年代を代表するライダーとなっていたでしょう。アントンは1987年の250ccクラスで全勝をあげていたのですから。

スペンサーは、カストロールが他の国際的なロードレース世界選手権に力を入れ始めた時期に、ホンダによる最後のGP世界チャンピオンとなったのです。

上:1985年、ホンダNSR500に乗るフレディ・スペンサーの公式写真。
左上:1982年、スペンサーはホンダNS500を駆り、ミサノサーキットのイタリアGPで2位に入賞。
左:1983年、フランスGPで走るスペンサー。
下:1985年、スペンサーが2つの世界タイトルを獲得したのを記念してカストロールが作ったA2サイズのポスター。 下:1985年、ホンダNSR500で世界選手権を制したスペンサー。 下:1988年、ホンダ250で走るアントン・マンク。

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1988-2009

〈スーパーバイク世界選手権〉と〈スーパースポーツ世界選手権〉は、非常に大きなアトラクションとなりました。市販のオートバイに加えてひと棚分のオイルを買い占めることができる200万ドル以上のレース用バイクを導入し、ホンダとカストロールは新しい活動分野を切り拓きながら市場を開拓。再び勝利を得ることになったのです。

1988年と1989年は、ホンダRC30に乗ったフレッド・マーケルが続けざまに〈スーパーバイク世界選手権〉で勝利。その後の14年間、5回の世界選手権を制する始まりとなりました。3年間を成功を収めたマーケルにとっても、ホンダとカストロールのパートナーシップにおける次のステージに上る始まりとなったのでした。

〈スーパーバイク世界選手権〉に出場するカストロール・ホンダのチームは、両者のモータースポーツ史上、傑出した時代を作りました。チームはV4ホンダRC45で参戦し、その後は今まで以上のパワーを備えたVツインSP1とSP2のマシンを携え、カストロールは摩擦を軽減するために新しいオイルのテクノロジー開発に挑みました。コリン・エドワーズにとって二回目の参戦となった2002年の〈スーパーバイク世界選手権〉では、「カストロール“R4”」がオイルとして採用され、イモラサーキットで開催された最終ラウンドではレース史上に残るラップを生み出したのです。

上:ホンダRC30に乗るフレッド・マーケル。
右:カストロール・ホンダRC45に乗る1997年度の〈スーパーバイク世界選手権〉のチャンピオン、ジョン・コシンスキー。
右:ホンダVTR SP1に乗る2000年度の〈スーパーバイク世界選手権〉のチャンピオン、コリン・エドワーズ。
 
右下:2002年のラグナ・セカサーキットで。揃いのユニフォームで集まったチームスタッフ、ニール・タックスワース(左から6番目)、コリン・エドワーズたち。USA ホンダSP2のコリンはポール・ポジションを取って、2回目のレースで勝利した。2002年は9連続勝利を挙げ年間タイトルを獲得するが、このレースがその最初のスタートとなった。
 
下:2002年、カストロール・ホンダSP2に乗ったコリン・エドワーズが、自身にとって2回目、チームにとって3回目となる〈スーパーバイク世界選手権〉のタイトルを獲得。 下:2002年の〈スーパーバイク世界選手権〉のラグナ・セカラウンドのために作られた、アメリカ合衆国の国旗をモチーフにしたライダースーツ。
 

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1990年代のGP250ccクラスでは、ホンダ擁するルカ・カダローラ、マックス・ビアッジが勝利を収め続けました。カダローラは、カストロールのオイルを使ったホンダNSR250で、1991年と1992年に年間タイトルを獲得。そして、ビアッジは1997年に年間タイトルを取っています。

〈マン島TTレース〉では、1980年代と1990年代にアイルランド人が新たな記録を打ち立てました。その記録はおそらく破られることはないでしょう。記録を作ったのはジョイ・ダンロップ。連勝に次ぐ連勝を繰り返し、TTレースで26回の勝利を挙げたのです。自国で125ccから1000ccまでのオートバイに乗っていたジョイですが、その活躍ぶりからファンは世界中にいました。

21世紀を迎えたホンダは、〈トライアル世界選手権〉にドギー・ランプキンとともに戻りました。ランプキンは、カストロールとホンダにとって特別な存在です。屋外と屋内で行われた〈トライアル世界選手権〉では2000年と2001年に常に上位に入賞し、2002年には3回目の世界タイトルを獲得しています。

1991年と1992年に世界GP250ccクラスチャンピオンとなったルカ・カダローラ。 1997年に世界GP250ccクラスチャンピオンとなったマックス・ビアッジ。
モンテッサ・ホンダに乗り、信じがたいテクニックを披露したドギー・ランプキン。 〈マン島TTレース〉で26回もの勝利を挙げたアイルランド人、ジョイ・ダンロップが1993年にホンダNSR125に乗る。

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ファビアン・フォレット/2002年 スーパースポーツ世界選手権

ホンダレーシングとカストロールの最近のサクセスストーリーは、オランダのテン・ケイト・ホンダ・チームから起こっています。7回連続の〈スーパースポーツ世界選手権〉を制したテン・ケイトが、〈スーパースポーツレース〉で40回を超える勝利をもたらしたのはファビアン・フォレット、クリス・バーミュレン、カール・マガリッジ、セバスチャン・シャルパンティエ(2回)、ケナン・ソフォーグル(2007年)、アンドリュー・ピット(2008年)です。またケナンは、2007年にバレンシアサーキットで優勝したほか、ホンダレーシングにとって500勝目となる世界選手権の獲得も果たしています。

 

カール・マガリッジ
2004年 スーパースポーツ世界選手権
クリス・バーミュレン/2003年 スーパースポーツ世界選手権 ピットガレージの外でCBR600に乗っているケナン・ソフォーグルが、〈2007年 スーパースポーツ世界選手権〉での勝利をテン・ケイトのチームと祝っているところ。
セバスチャン・シャルパンティエ
2005年 スーパースポーツ世界選手権
セバスチャン・シャルパンティエ/2006年 スーパースポーツ世界選手権   アンドリュー・ピット/2008年 スーパースポーツ世界選手権

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2007年、ブランズ・ハッチで開催された〈スーパーバイク世界選手権〉でパドックヒルを快走するジェームズ・トスランド。 レース後にトロフィーを手にするトスランド。

ハンスプリー・テン・ケイト・ホンダチームのパフォーマンスは〈スーパーバイク世界選手権〉に反映されていました。コリン・エドワーズが2002年に世界選手権で優勝したとき以来、ホンダCBR1000ファイヤーブレイドと「カストロール パワー1」を擁したテン・ケイトのチームは、ピットレーンにおけるトップチームのひとつになりました。事実、バーミュレンが早めにチャージするよう話したジェームズ・トスランドは2007年の〈スーパーバイク世界選手権〉で優勝しました。


イギリスの最終ラウンド、本拠地であるブランズ・ハッチで初めての勝利を得たトスランドがシャンパンシャワーを浴びる。その週末、約12万6000人の観客がハンスプリー・テン・ケイト・ホンダのライダーにとってを応援に訪れた。
サーキットをウィンニングランするトスランド。

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2004年、セテ・ジベルノーがグレッシーニ・レーシング・ホンダRC211Vに乗りフランスのMotoGpで優勝。 ジベルノーは、2004年と2005年にロッシに本気で挑んだ唯一のライダーだった。

フレディ・スペンサーがホンダ最後の500cc世界チャンピオンを獲得して以降、MotoGPの公式規格は変化を遂げ、500cc世界選手権に出場するホンダのオートバイも現代のバージョンとなり、カストロールのオイルとともに再びレースに出ています。2003年と2004年にチーム・ホンダ・グレッシーニから出場したセテ・ジベルノは8回の優勝を記録し、マルコ・メランドリとトニ・エリアスは2006年に6勝を挙げています。また、アレックス・デ・アンジェリスとエリアスは、2009年の残りのMotoGPで戦いました。

類のない50年のパートナーシップを組んでいるカストロールとホンダのストーリー。半世紀の時を経て500回を超える勝利を挙げ、モータースポーツのさまざまな状況や変化に応えながら、数多くの伝説的なライダーを輩出してきました。この成功劇は、専門的な知識や献身的姿勢の重要性を確認する裏付けとなると同時に、カストロールとホンダレーシングが世界に誇るべきベストパートナーとして挑み続けるべく決意を固めることになったのです。

サン・カルロ・グレッシーニ・ホンダに乗ったアレックス・デ・アンジェリスとチームメイトのトニ・エリアスは、2009年MotoGpのホンダ・カストロール・レーシングとパートナーシップを続けるだろう。

2005年のイスタンブール、マルコ・メランドリがニッキー・ヘイデンを抑えながら優勝目指して走る。 2006年のエストリル、トニ・エリアスはホンダRC211Vに乗り、初めてMotoGPでの優勝を勝ち取った。

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